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【卒業生×新人 インタビュー】優秀な人材を生み出す会社

今回は、GHCの礎を築いてきたメンバーのひとり、GHC史上、最も若くして、マネジャーに抜擢された鈴木啓介さんです。

鈴木さんは、2014年にGHCを卒業後、渡米しMIT(マサチューセッツ工科大学)の経営大学院スローンスクールでMBA(※)を取得。帰国後は、外資系医療機器会社に入社されました。2024年1月からは同社シンガポール整形外科分野の責任者として業務に従事されています。そんな鈴木さんをお招きし、入社1年目の神尾さん、千賀さん、吉田さんとともに、お話をお聞きしました。

※MBAを取得するまでの鈴木さんの活動については「GHC最年少マネジャーが会社を去った本当の理由)」をご覧ください。

自己紹介

鈴木_私は2006年から、2014年までの8年間、GHCに在籍していました。入社した当時は、社員数が10人くらいの小さな会社で、広尾のマンションの1室をオフィスとして、夜中まで分析に没頭したり、全社戦略を長時間議論することもしばしば、時にはアキさんが振舞ってくれる手料理を食べたりして、楽しくも刺激的な毎日を過ごしていました。

_広尾オフィスは本当にアットホームな空間でしたよね。懐かしいです。GHCを卒業後のキャリアを教えて下さい。


オフィスとして活用していた広尾のマンション。会議、勉強会などでも活用

鈴木_米国にてMBA取得後、外資系医療機器会社に入社して、2015年から2017年まで日本で勤務しました。その後、同社整形外科部門の本社があるアメリカのインディアナ州とペンシルバニア州で約2年間、本国のマーケティングの仕事をした後、2019年からはアジア・パシフィックの整形外科の股関節分野のマーケティング業務を担当し、2024年1月からはシンガポール支社で整形外科部門の責任者として、働いています。

_続いて2023年4月にGHCに入社した神尾さん、千賀さん、吉田さんから自己紹介をお願いします。

神尾_GHCに入社する前は、石川県の訪問看護ステーションで、理学療法士をしていました。理学療法士として働く前は、石川県の大学、大学院に通学していたのですが、大学在学中に1年間、休学し、別の医療コンサルで働いたりもしました。

当時、働いていた会社では、新卒対応を担当していましたが、その会社で医療コンサルの方々と働いているうちに、いずれは医療コンサルの仕事がしたいと考えるようになり、GHCに入社しました。

※神尾さんは【社員インタビュー】でお話をお聞きしています! 

千賀_入社前、7年間、急性期病院の循環器病棟で看護師として働いていました。看護師として、働き続けるなかで、患者さんの年齢層の高齢化が顕著になり、看護ニーズより介護ニーズのほうが高くなってきていると感じるようになりました。いつの日か、急性期病院でしか治療することができない患者さんを受け入れられなくなってしまうのではないかと、モヤモヤした気持ちが強くなり、解決策を調べていたところ、GHCを知りました。ホームページを隅々まで読み、GHCのめざす「急性期らしさの追求」という理念に、共感し、入社を決めました。

※千賀さんは【社員インタビュー】でお話をお聞きしています! 

吉田_僕はGHCに入社する前は、薬剤師として7年間、病院で働いていました。最初は、築地にあるがん専門の病院で、レジデントとして3年間の研修プログラムを受けながら、働いていました。そこで、最先端のがん治療を学んだ後、総合病院で、3年間働き、GHCに入社しました。

僕は同期2人のように、医療に対する高い志があったわけではなく、薬剤師の免許を活用せずに、お金を稼げるようになりたいと考え、GHCに入社しました。

薬剤師という職業にやりがいは感じていましたが、限られたコミュニティで働くなかで、もっと刺激的な仕事がしたいと感じるようになりました。そこで、転職エージェントに相談したところ、医療コンサル領域の仕事を紹介していただきました。そのなかでGHCが「医療の質」を、意識をしている会社であることを知りました。

薬剤師として、患者さんと接し、病院で働いていましたが、「お金」や病院経営については、それまで全く意識したことがありませんでした。また、GHCのクライアント病院が、これまで勤めてきた地域の中核病院が多かったため、働いてきた現場経験が活かせるのではないかと考え、キャリアチェンジしました。

病院と共に成長したGHC時代

鈴木_GHCでの仕事は大きなプレッシャーはもちろんありましたが、それ以上に刺激的で成長の機会に溢れており、8年間はあっという間に過ぎていきました。経営改善のお手伝いをさせていただく中で、少しずつ評判が口コミで広がり、全国各地の国公立の病院から私立病院まで、あらゆるタイプの病院を担当させていただきました。

最初に担当させていただいた広島赤十字・原爆病院とは医療環境が大きく変わっていくタイミングということもあり、病院と共に試行錯誤しながら成長させていただいたという思いが強くありますし、結果的にGHCを卒業するまでコンサル契約を継続していただきました。「継続」がコンサルとしての価値を病院が認めている証のひとつであるという社内の共通認識は当時からありましたので、卒業までコンサル契約を継続していただけたことは、僕のコンサルとしての自信につながりました。

医療データのポテンシャルを引き出すことが医療分析の魅力

_業務をされるにあたって意識されていたことや具体的な事例などはありますか。

鈴木_GHCでの業務は、多種多様な医療データと向き合う側面も特徴的な業務の一つだと思います。友人でもあるデータマイニングのスペシャリストのマイク(※)がビッグデータを扱っている中で、仮説とは異なる別のインサイトを発見した時が一番の快感だと言っていました。GHCの医療分析もそうした感覚に近く、これだけのデータを保有していることは間違いなくGHCのストロングポイントですから、そこから病院経営に貢献できるインサイトを見出す事はこの仕事の醍醐味ですよね。

※マイクは、GHCの外部アドバイザーであるジェイの弟子です。(https://www.ghc-j.com/staff/staff-1000/)ジェイはアキの弟子でしたので、マイクはアキの孫弟子にあたります(https://www.ghc-j.com/blog/blog-0-396)。マイクが来日時に取材した記事はこちらからご覧ください。

様式1に住所情報が加わった時の話ですが、郵便番号を使えば地域連携に必要な情報が可視化できると考え、信頼していたアナリストに相談したところ、即答で「できます」。イメージを伝えて「1週間で」と依頼すると、本当に1週間後に作ってきました。それがパワーポイント上に表現されたことが始まりで、病院ダッシュボードにも項目が搭載されました。そんな優秀なアナリストがゴロゴロいるものGHCの魅力のひとつですよね。


病院ダッシュボードχの「地域連携分析」

アナリストが病院コンサルを支えている

_若手や、これから入社してくる新人アナリストへのアドバイスをお願いします。

鈴木_コンサルタントを志望してGHCに入社した場合、まずはアナリストからスタートすることになりますよね。アナリストという仕事は膨大なデータと分析量に圧倒されるとても大変な仕事ではありますが、一次データに直接アクセスする、ある意味最も現場に近い存在でもあり、誰よりもコンサルティングの詳細を熟知している存在です。アナリストは決してコンサルタントの下請けではなく、自分達が会社を支えているという自信を持ち、新しい価値を生み出し続けて欲しいと思います。コンサル業界は人が成長しやすい業界とよく言われていますが、GHCにおいてはアナリスト時代の厳しくもやりがいのある環境に身を置くことに、その秘訣がある気がします。

優秀な人材を生み出す会社

_最後にGHCをひとことでいうとどんな会社でしょうか。

鈴木_医療を支える優秀な人材を生み出す会社ではないでしょうか。GHCを卒業後、10年ほど経過するのですが、引き続きGHCで日本の医療に貢献しているメンバーはもちろんですが、私と同じくGHCを卒業し、自ら起業して別の道で活躍している友人や、大学で教鞭をとっているかつての同僚もいます。そうした「ヘルスケア人材」がどんどん出てくることがGHCという会社の他社にはない特長だと思います。ですので神尾さん、千賀さん、吉田さんも数多くある会社の中からGHCへの入社を決断した本当に幸運だったと自信を持って言えます。ここから先の飛躍は自分自身の手に委ねられているので、ぜひ、頑張って下さいね!

_では、聞き足りないとは思いますが、もうすぐランチタイムなので、この辺りでインタビューは、終了したいと思います。本日は、みなさん、ありがとうございました!


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