自らの原体験からライフエンディングの負をITで解消する!唯一の出戻り責任者太田が創るチームのカタチとは?
TRIVE GROUPに入社した経緯って?
「TRIVE GROUPで唯一の出戻り」
大学入学を機に上京してきたんですが、その時はめちゃくちゃ学歴コンプレックスを抱えていたんです。
学歴コンプレックスあるあるだと思うんですが、希望していた大学に行った学生には負けたくないという闘志と、漠然とした就活への不安が僕にもあって、早いうちから就活というか、働くということを意識して大学に通っていました。
就活をなんとか納得する方法で迎えたいと、学歴をなんとかカバーする方法を探してたんです。
その時に、自分の中で至った答えが「とにかく早く社会に出ること」
それで、長期インターンを探し始めたのがTRIVE GROUPに入るきっかけです。
金融メディアへのチャレンジと減退
入社当時は金融系のメディアを担当していました。
最初は土日と平日1日の週3勤務だったんですが、夏頃にはフルタイムで出社するくらいにのめり込んでいきましたね笑
ただ、それに反比例するように金融メディアの業績は芳しくなくて、どんな施策を打っても伸びない期間が入社したから3ヶ月くらい続きました。
ついには、このまま金融メディアを続けるか、ピボットするかを選ばなければならないくらいまでキャッシュが尽きました。
先輩インターンがどんどんやめていき、目の前のキャッシュがどんどん減っていく感覚は、今でも夢で見るくらい痺れる経験でしたね。
入社して数ヶ月の間に底を見た経験は、今でもチャレンジの糧になってます。
ビジネスがわかるエンジニアへの挑戦
そこからもう一度担当していた金融メディアの立て直しにコミットして、なんとか月間数百万PVくらいまで回復することができました。
オペレーションの磨き込みやマーケ手法の変更が功を奏した形で、このままやれば伸びるなという手応えもしっかり掴んでいましたね。
そこで、改めて僕がいた環境をフラットな視点で見た時に、開発のことわからなさすぎてコミュニケーションロスが発生してるなって思ったんです。
こちらがエンジニアリングのことをわかってなさすぎて、共通言語で話しができない。
しかも、エンジニアさんって単価が高いのでロスをすると、自分たちのキャッシュ状況だと結構痛いんですよね。
なので、なんとか共通言語で話ができるくらいにはなろうと、スキマ時間でエンジニアの勉強を始めたんです。
そしたら、適性があったのかみるみるのめり込んでいき、もっと本格的にチャレンジしてみたいって思うようになっていました。
ちょうど1年生終わりだったこともあり、振り返りと今後の身の振り方を考えた時、開発 x ビジネスサイドのことがわかる人間って少ないなって思ったんです。
TRIVE GROUPを一度卒業
ゆっくり振り返ってみた結果、ビジネスのバックグラウンドがあるエンジニアになるためにTRIVE GROUPを一度卒業することに決めたんです。
その後、約3ヶ月間プログラミングスクールに通っていました。
第二新卒向けや新社会人向けの超本格的なスクールだったので、1日中エンジニアリングの日々でした。
エンジニア時代は、railsでバックエンド、reactでフロントを実務で書いたりしてましたね。
独学でGoも書いたり、趣味的に今でもたまに書きます。
その知識は今でも生きていて、実際に手を動かしたりすることはないですが、エンジニアと仕様の段階から議論しあうのはすごく楽しいですね。
その後、大手IT企業でエンジニアインターンを重ね、次のステップを決めかねていたタイミングで、代表の杉野と会う機会があったんです。
杉野との再会
約1年ぶりの再会で、お互いの近況報告をしていた折、代表の杉野は「また一緒にやらない?」と誘ってくれたんです。
しかも、メディアの事業責任者として。
エンジニアはいつでもできるけど、事業責任者はこのチャンスを逃したらいつできるかわからない。
ほぼ即決でTRIVE GROUPに戻ることを決めました。
ライフエンディング事業へのチャレンジを決めた理由
「人から応援される事業がやりたい」
TRIVE GROUPへ戻ると決めた時、メディア事業をやることは決定していたんですが、領域までは明確に決めていなかったんです。
スタートする前は、ライフエンディング以外にも、結婚・金融・プログラミング教室など複数の領域で比較、検討したタイミングもありました。
ただ、今回チャレンジするにあたって1個だけ決めていたのが、人に胸張って言える事業を長期目線で創ること。
正直、メディアってビジョンなくスタートしているものが多いと思っていて、短期目線だとそれでも戦えるんですが、長期だと難しい。
本気でコミットするチームが、人に胸張って言える事業を創る。
そのために今後の日本が避けて通れない問題と、自分の原体験が合致するライフエンディングを選択したんです。
責任者 太田のライフエンディング原体験とは?
「ITを通じて、ちゃんと死と向き合える社会を作る」
中学時代、近い親族が亡くなったんです。
全く予兆とかもなかったので、当時は信じられず唖然としましたね。
ただ、いつまでも悲しみにくれてる暇はなく、僕の両親はすぐに葬儀や火葬の準備に取り掛かっていました。
火葬場の手配をはじめ、並行して葬儀の場所、親戚への連絡、葬儀屋さん・お寺さんへの連絡など、とても家族・親族だけでは賄えるものではない量の準備に追われている両親をみて、悲しさよりも圧倒的に忙しさが優っていると違和感を覚えました。
それからも49日に向けて、お墓の手配や納骨、お坊さんへの連絡、などをただただ無心でこなすような生活を強いられていましたね。
この経験から僕は、死というものに向き合うことが忙殺されてる現状を知り、変えなければならないと強く思ったんです。
ライフエンディング事業におけるチーム作りとは?
「文化は創ろうと思って創ると失敗する」
今のチームの状況はめっちゃいいと思います。
誰もやったことない領域なので、自分の信念に合う、正しいと思うことを、それぞれが勝手にやってる状況です。
決定権は集約したほうがいいものの、自由がない組織って必ず疲弊すると思うので、今後もトップダウンのチームには絶対にしないって決めています。
「見ている方向性は一緒で、それを目指すプロセスは自由」
そんな組織が理想です。
事業責任者が完璧である必要ない
チームのカラーって事業責任者がもつ雰囲気によってある程度決まる部分があると思っていて。
僕は、まだ若いのでめちゃくちゃ失敗することが多いんですよ。
というのも「失敗を恐れないでチャレンジする」ということを信念において行動しているので。
だって、事業責任者がガンガンチャレンジして、失敗してるほうがメンバーのみんな楽じゃないですか?
どんどんチャレンジしていいんだ!失敗していいんだ!って思ってもらえますし、裁量ある仕事に失敗はつきものだと思ってますっていうのを行動で示すことができる。
そして、メンバーそれぞれ得意分野があるので、困ったら笑いながら「苦手だし助けて!」って積極的に声をかけるようにしています。
長所をうまくだしあえて、短所は積極的に補えるチームが作れてると思いますね!
実際に、今のチームではビジネス側のみならず、エンジニアもデザイナーもユーザーさまからのお電話を受けています。
そして、ビジネス側もSQLなどでデータベースからの書き出しもおこなっています。
はじめは、なかなか出来なかったメンバーも、助けをもらいながら回数をこなすごとに着実に書き、話せるようになっていくので、見ていてとても頼もしいです!
麦わら海賊団のようなチームを
今後のチーム編成でいうと、自由と責任を1人1人が感じられるチームにしていきたいと思ってます。
誰1人同じタスクに向き合い続けることがなく、一緒の目標に向かって、高みを目指していけるといいですね。
やっぱり、夢中になる目標があって、それを一緒に達成しようと切磋琢磨する仲間がいてこそ事業をやる価値があるはずで。
夢中にならないとその人の本心は出てこないんですよ。
そして、そこまで晒せるような仲間じゃないと、やっぱり一緒に高みを目指しても面白くない。
なので、自分の得意なことをチームに還元しつつ、アンコンフォートゾーンに果敢にチャレンジし、事業にフルコミットできる。
そんな気概のあるメンバーと一緒に事業を成功させたいですね!