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【代表インタビューvol.1】〜代表李ってこんな人!〜

みなさん初めまして!

特定非営利活動法人Learning for All 採用や各事業部のサポートを担当しております、長島です!2017年4月に入職し、3年目となります。

「NPOで働くって?」

「オフィスの雰囲気って?」

「そもそも Learning for All ってどんなことをやってる組織なの?」

などなど...弊団体の代表である李のインタビューや様々な部署で働く職員のインタビュー、座談会記事などを修正したものを定期的に公開することを通して、みなさんの疑問・質問や知りたいことについてお答えしていきたいと思います。


※こちらのインタビューは2019年5月に公開したものを一部修正して再度公開しております※

【代表インタビューvol.1】〜代表李ってこんな人!〜

みなさん、こんにちは、Learning for All 職員の福田です。
4月からブログを担当している私ですが、ふと、大変なことに気がつきました。
「代表理事 李のインタビュー記事がない!!!」と。

そこで、今回から【代表インタビュー】シリーズを定期的に公開していきたいと思います。

Learning for All を代表する男、李炯植(りひょんしぎ)の考えや想いをより多くの人に知っていただける機会になりますと幸いです。

さて、第一回となる今回は、改めて「代表李ってこんな人!」をテーマに、李がLFAの活動を始めるに至った経緯や想い等をインタビューしました。李の魅力、そして魅力でない部分(?)も含め、丸裸にしていきますのでぜひご一読ください!

インタビュー実施の前に・・・

そもそも、李ってどんな人?というのを、いい機会なので職員数名にも聞いてみました!
(代表への忖度を防ぐため、コメントは匿名で記載します・・!)

◆Aさん
普段は私たち平の職員と並んで机で仕事をしていたり、時には席がなくて隅っこにいたりしていて、全然代表ってオーラ出さないんですよね・・謎です。ボランティアの学生にも普通に話しかけてるし。代表って気づいてない学生もいるんじゃないかと思います。

◆Bさん
オンとオフの差が激しいですね。この短期間でのLFAの拡大を牽引しているとおり、なんでも器用にこなせる人です。苦労とかしたことあんまりないんじゃないかな。

◆Cさん
毎日プロテイン飲んでますよね。どこまでストイックなんですかね・・
あととりあえず奥さんのことはだいぶ好きらしいです。

いろんな声が聞けましたが、僕自身もそれぞれ共感しますね。
さて、それでは李本人へのインタビューをお届けしていきます!

代表インタビュー「代表李ってこんな人!」

福田)そもそもなんですけど、李さんって日本で生まれ育ったんですか?

李)
日本生まれ日本育ちです!両親ともに日本生まれの韓国人なので、国籍は韓国ですが、日本の学校教育を受けて育ちました。日本語しか話せないですしね。。いろんな記事でも出てるかもしれませんが、私のバックグラウンドは少々複雑です。

兵庫県の尼崎市というところで生まれ育ちました。結構貧困や格差が激しい地域で、私自身も貧困世帯の多いエリアの団地で生まれ育ちました。両親と妹弟、そして父方の祖母の6人家族でした。祖母は身体障害を持っていて、通院や日々の暮らしのサポートなど昔からよくしていましたね。僕はおばあちゃんっ子だったので。そのほか、自分の家族のことはいろいろ大変なことがありましたけど、、、、ここではあんまり話さないでおきます笑 少なくとも、今LFAが関わっているような、貧困、教育格差、虐待、障害、外国人差別などなど、いろんな社会課題が自分や友人の生きる世界の中には確かにありました。いろんなものを目の当たりにして生きてきたことは事実です。

福田)そんな生い立ちだったんですね・・
素朴な疑問ですが、そこからなんで東大に行くことになったんですか?

李)
話せば長くなりますが、、大きく二つの理由があります。

まずは恩師である小学校の担任の先生との出会いです。私の通っていた公立小学校はクラスのだいたい半分くらいはひとり親や生活困窮の家庭でした。学力も高くないですし、受験する友達はほとんどいません。だいたいみんな公立中学校に行くのですが、その中学校は「今年はすごく荒れているらしい」と毎年言われてしまうようなしんどい学校でした。

私も普通にその公立中に進学しようと思っていましたが、小学校6年生の10月くらいに当時の担任の平垣先生に呼び出されて「あなたは東大に行けるだけのIQがあるから受験をして、もっと勉強できる環境にいきなさい」と伝えられました。そのすぐ後に、先生が私の親に連絡をして、家庭教師が家にやってきて、受験勉強をし始めたんですね。それで、ギリギリ偏差値40台前半の私立に受かることができたのが、一番大きなきっかけですね。入った中学校はいわゆるスポーツ校で甲子園とか花園とか出るような強豪校だったんですが、大学受験に特化した特進コースを創設して、私のそのコースの第1期生でした。中学校側も相当気合が入っていて、クラスは10名のみ。その10名クラスで高校3年まで6年間一緒に過ごしましたね(笑)。朝から晩まで相当な量を勉強させられました。

そんなこんなで中高生活を送っていたのですが、高校一年の時に、また転機が訪れます。小学校6年のクラスの同窓会が開催されました。そこでかなり衝撃的な経験をすることになります。同窓会には10人以上来ていましたが、私立高校に通っているのは私だけ。普通高校や商業高校などが大半でした。中には、高校で喧嘩をして退学になり、大工さんになっている友人も。さらには妊娠している友達もいて、高校は退学して子どもを育てるけれど、旦那とは離婚するという人もいました。小学校まで同じように過ごしていた同級生たちが、こんなにも多様な道を選び、中には大変な状況になってしまっている人もいて、本当に衝撃を受けました。そんな状況の中で、平垣先生が私に「ちゃんと勉強しているか?もっともっと勉強できる環境を紹介してあげる。」と言って、3日後にある鉄緑会という塾の入塾テストに勝手に申し込んでくれました(笑)。それを経て僕は鉄緑会という超ハードな塾に高校2年から通うことになりました。そこでの勉強を経て、東大にいく道が少し見えてきたというのが、東大を目指そうと思った一つの理由です。


もう一つは、体調不良によって絶望の淵に立たされた自分を再度奮い立たせるため、という理由です。

実は、高校2年生くらいのときから持病のアトピーがひどくなってしまいました。アレルギーのレベルを測る数値があって、170以下で正常なのですが、実は20,000くらいの値を叩き出してしまい。。重症と言われていました。でもちょうど塾に入って勉強量が倍以上になった時期なんですよね。。その時に、ちょうどひどくなって、1年くらい夜もほとんど眠れないような日々が続いたんです。毎日1.5時間睡眠とかで、それはそれはしんどい毎日でした。それで、身体も精神もどん底まで追い詰められていたのですが、なぜか学校を休んだり、勉強をやめたりという選択はしなかったんですよね。今がんばっていることをやめてしまったら、張り詰めた糸が切れて、一生何もかもがうまくいかなくなってしまう、底なし沼に落ちていって、ずっと絶望してしまうんじゃないか、と思ったんですね。

だから踏ん張って、目の前でやるべきことややりたいことは妥協せずやり続けました。高校卒業までに体調も治して、東大にも受かる──この節目に、すべての不安要素と決別しようと奮起しましたここで何かを妥協したり、諦めてしまったりしたら、以降ずっとダメになる気がして。そこからは、受験に向けての対策を綿密にプランニングして、寝食以外のほぼすべての時間を勉強に費やしました。結果、東大にも受かり、高校3年の後半からは体調も回復しました。

で、晴れて東京に進出し、これまでの大変だったこととは全ておさらば!特に体調不良の話は誰にもしないでおこうと思って、大学の友人などにもほぼ話したことないですが、今回は福田さんの要望もあって話しちゃいました(笑)

福田)
普段あまり聞けない代表の苦労話が聞けて、僕は少し満足してきました・・
なんだかいつも完璧に見えてしまって可愛げがないので・・
ところで僕も実が東大に通っていましたが、尼崎から東大って、だいぶギャップがありそうですね・・

李)
ギャップと呼べるレベルではなくもはや別世界。間違ったところに足を踏み入れてしまったなという感覚でした。

まず周りの同級生たちの社会階層の高さに驚かされました。小学校からずっと名門の私立に通っていた人、お屋敷のような豪邸に住んでいる人、帰国子女・・僕にとってはテレビドラマでしか見たことがないような世界で、同じ日本で実際にこんな世界で生きている人たちがいるということが衝撃でした。逆に同級生の大多数は、僕の身近にあった貧困を別世界の話のようにしか思っていないようで・・どん底から血を吐くような思いで這い上がってきた自分や自分の生まれ育った街と、今自分の周りにいる人たちとはそもそもスタート地点が違っていたんだろうなということを実感し、なんとも言えない悔しさ、周りへのやっかみみたいな感情がありました。そんなわけで環境にも馴染めず、大学に行く意義を見失ってしまった時期がありましたね。授業にもあまり出ずに、家の近所の喫茶店にこもって本を読んだり、数少ない気の合う仲間とつるんだり、パチンコに明け暮れたりする日々が続きました。


福田)
なるほど・・努力して掴んだ東大進学が、また新たな生きづらさとの出会いにもなってしまったわけですね。そこからどう奮起してLFAの活動に繋がっていくんですか?

李)
目的もなくつまらない学生生活を送っていたわけなんですが、年末年始に地元に帰って同級生たちに会うと、やはり自分が見てきた現実がまだそこには確かに存在したんです。作業療法士になりたくて専門学校に行きたがっていた友人が、親に金がないから働けと言われて進学を諦め、シングルマザーである母親が男の人と遊ぶ金は惜しまずに使うことに苛立ちを抱えていました。また、別の同級生は土木で働きながら知り合った年配の男性に騙されて家を買い、多額の借金を抱えていました。自分が東京で目の当たりしている現状と、全く異なる2つの世界を行き来して、自分は一体どこにいるんだろうか、何をしているんだろうかという感情に駆り立てられました。そして東京に戻り、たまたま出た授業でクラスメイトたちに自分の地元の同級生の現状や自分の抱えている問題意識を共有して「どう思う?」と聞いてみたんです。そうすると、どの人も口を揃えて「それはバカだから仕方ない」と一言返してきたんですよね。地元の友人たちがバカではない、手を抜いて生きているわけではないことを知っている僕は、「それは違う」ということを伝えたかったものの、うまく言葉で説明できずにとても悔しい思いをしました。この時に感じたやるせなさや怒りが、今でも自分を突き動かす大きな原動力になっています

その後しばらくして、先輩から、当時Teach For Japan の一事業だった学習支援のボランティアに誘われました。普段なら無気力でこういった活動は断っていたのですが、「貧困世帯の支援」と聞いて、何かに突き動かされるようにとりあえず参加してみた、というのが今のLearning for All の活動を始めたきっかけです。当時実施していた学習支援は、現場や教師の質など様々な課題はあったものの、そこには一生懸命にがんばろうとする子どもたちの姿がありました。子どもたちは、東京という地にいながらも、様々な困難をかかえていて、過去の自分や地元の友人たちと重なるような思いがしましたね。子どもと向き合うなかで、大学で居場所のない自分にできること、自分のやるべきことが徐々に明確になっていきました


福田)
なるほど・・もどかしい想いをかかえていた時にたまたま先輩から誘われて、学習支援のボランティア活動を始めたのがきっかけだったんですね。そして一生懸命に頑張る子どもたちの姿が当時の李さんをさらに突き動かした、とも言えますね。

今回は普段あまり聞けない李さんの過去の苦労話をたくさん聞くことができて、いち職員としてもますます親近感が湧きました(笑)今では「血を吐くような思いをしながら這い上がってきた人」という感じがあまりみられないので・・

いちボランティアからLearning for All の代表となっていった経緯も気になりますが、今回は少しお腹いっぱいになってきたので、また次回続編をインタビューしてお届けしたいと思います!
インタビューvol.1にお付き合いいただいた皆さま、ありがとうございました!

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