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#20.【社員インタビュー】Vol.1 パソコンとの出会いで繋がった縁 守護神がそらっぱに導かれるまで

こんにちは!株式会社ソーラーパートナーズ広報担当の坂下智子です。


今回は社員インタビューシリーズ第三弾です。

遡る事14年、そらっぱの創業は4人での立ち上げでした。

なかじさん(中嶋明洋代表取締役)、雄介さん(中村雄介専務取締役)、今は結婚して九州のご実家に帰られた方、そして今回お話を聞いた神田直幸さんの4人での創業です。


なかじさんから「そらっぱの守護神」と言われる包容力と、

若手社員も気軽に話せる温かい雰囲気とおおらかさを持つ人気者の神田直幸さん、

普段我々は親しみを込めて「神田先生」と呼んでいます。

今回はそんな神田先生の普段聞けないお話を伺ってきました。


私は入社10年目なので、知らない4年間のお話を聞けるのをとても楽しみにしています。

本記事は、そらっぱ立ち上げまでのストーリーです!




-本日は宜しくお願いします!まずは神田先生の学生時代の事を聞きたいのですが、ご専攻は何だったんですか?

 学生時代は即戦力として社会に出ることを目指し化学科へ通いました。

地元(出身地の山口県)の学校でしたが就職率がとても良いと地元で評判の学校でした。

就職率も良い事ながら厳しさも抜群で、男塾のようなスパルタな学校でしたよ(笑)

学生時代は化学科らしく化学式の学習と実験が主で、作業着を着用して劇物を取り扱う本格的な実験を多く経験したことを覚えています。

加えて化学科にも関わらず一部の授業ではパソコンを使う授業もありました。

ここで知ったパソコンという存在と感触が、その後の人生に良い意味で大きな影響を与えていると感じています。


-パソコンの授業があるなんて時代の先を行くカリキュラムですね!それは貴重な経験だったはず!では最初の就職先もパソコン関係だったんですか?

 いえ新卒ではレントゲン技師の会社に就職しました(笑)

といっても写すのは人ではなく物、非破壊検査が私の仕事で水道管や建物などをレントゲン撮影してチェックしていました。

そして幸いにも当時まだ現在のように普及しきっていないパソコンが会社にあったので、触れられる貴重な機会もありました。

パソコンの便利さに驚くと同時に、学校で学んだ知識と現場で使うものとは全然違うんだと印象的だったことをよく覚えています。

そんな経験もあり、パソコンを仕事にしたいという思いや可能性を感じたことなどから、転職を決意したんです。


-ではその後はパソコンの会社に就職ですか?

 転職を決意した後は、パソコンを扱い始めるという文房具屋に就職しました。

学校に納品するための新しいパソコンを取り扱うとの事で人手が必要となっての採用です。面接で社長から勢いよく「君は良い目をしている!合格だ!」と言われて採用(笑)

おもしろいでしょ?(笑)

当時10人程度の小さな店ながらも学校への卸売りと同時に実店舗でもパソコンを販売、

その後ネットショップの普及と同時に会社の規模も大きくなってネットショップの責任者を経験し、企画やマーケティングも担当しました。

約10年間いたかな。

当初10人程だった会社が100人まで増えて、小さな会社が成長する経験をさせてもらいました。



-それはすごい!パソコンの普及に伴ってネットショップも成長していた時期ですね、正に先見の明。せっかく会社が大きくなったのに次の職にご縁があって変わられるんですよね?また成長する過程での参加なのでしょうか?

 そうです。次もパソコン関係です。

最初の上司が新たに事業を立ち上げ、その人と話をしているうちにその新しい会社に参加することになったので、地元山口県から会社のある東京へ上京し浅草で働きました。

その会社はカスタムパソコンを作って販売する会社で、自分の好きなように仕事ができる自由な環境が魅力でした。創業は3人、その後私が参加して4人の会社です。

自由な環境ゆえに個性的な製品をたくさん作る機会があり、それが本当に良い経験となりました。

テレビ番組の「王様のブランチ」や「ワールドビジネスサテライト」に取り上げてもらえたり、雑誌に掲載されたりするなど、メディア露出もあったんですよ!

ですがよく言えば個性的すぎた製品ばかりで(笑)なかなか業績が上がらず、残念ながら事業を大きく変えることになりました。

今になって思うのは、かつて私たちが作っていた物が早すぎた感覚です。

後発製品の紹介記事などで先駆者的に名前がでたときは時代が追いついてきたと思いました(笑)

その後に自分で就職活動をし、入ったのが設立間もないエス・エム・エスです。


-時代が追いついてきたなんてかっこいい、いつか私も言ってみたいです(笑)エス・エム・エスでの事は、なかじさん、雄介さんからたくさん聞かせていただいていました。当時からお二人とは交流がありましたか?

 主にデザイナーとしてエス・エム・エスに入ったのですが、

当時業務スペースが分かれていたせいもあって、2人の事は正直特別な印象はなかった気がします(笑)

とはいえ入社当初は社員数が少なかったので社長が自ら昼当番でお弁当を買いに行くなど、アットホームな雰囲気もありました。

中嶋さん雄介さんも言っていたと思いますが、入社当初から急速に成長していく会社の勢いを肌で感じ、まるでジェットコースターのような日々でしたよ。

毎月新入社員が入ってどんどん増え、ある月は一か月に30人が入社するような時期もありました。

印象的だったのは一度に30人の入社時パソコン研修を担当した事や(まるで学校の授業みたい!)、パソコン200台発注など、とにかく準備に追われる日々だったことです。

エス・エム・エスでは、大体5年程働きました。


そらっぱに参加するきっかけは、中嶋さんから問い合わせフォームについて教えて欲しいと頼まれたことからで、その要望に応えていくうち自然とそらっぱに参加することになりました。


神田先生たくさんお聞かせくださってありがとうございます!

パソコンがつないだ縁でここまで歩んでいらっしゃったんだな~と興味深く聞かせていただきました。

やっぱりエス・エム・エスはすごい勢いだったのですね。


次回は現在、そして未来へ向けてのお話です。



ここまで、本記事をご覧いただきありがとうございました!

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