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【マーケター 野々大樹 を知る】マーケから営業の最後まで自己完結!経験と引き出しがあるからこそ、最適を導き出せる。

現在、仲間の多くは ”現経営者”。中には ”新卒メンバー” や ”アルバイトメンバー” も在籍しており、小規模ながらも多様性に溢れたメンバーが集まっています。

雇用形態にこだわらず、役員・正社員・アルバイト・業務委託が分け隔てなく1つのチームとして、プロジェクト毎に最適なチームを組成し、経営支援に当たっている私たち。

それぞれが感じてきた想いや源泉に触れながら、幼少期から現在に至るまでのストーリーをインタビュー形式でお届けします。


野々大樹(ノノダイキ)|大阪出身。大学では海洋生物学を専攻し、瀬戸内海沿岸の都市河川にてシジミ研究に取り組む。新卒で入社したIT企業にて4年間営業職を経験したのち、地方への企業誘致・地域おこしや、広告代理店でのデジタルマーケティング部門立ち上げ・デジタル販促全般を経験。
2021年7月より、中小企業の新規事業やECサイト、飲食店・ジム等のマーケティング支援業務を開始。2020年6月農業系スタートアップに転職、マーケティング担当と九州全域の代理店営業を兼務し、 大手代理店への販路開拓を実現。2023年1月より個人事業主として独立。

幼少期は自然の中の、現在は企業課題の先にある、輝きと新鮮味を求め駆け回る。

ーー大樹さんの学生時代を教えてください。

高校生までは、大阪の我孫子で過ごしました。

好きなものは今と変わらず、虫や魚を取ることとか野鳥観察です。登校前には大泉緑地っていう公園まで親に連れて行ってもらって、虫採って帰ってきて、小学校に行くみたいな、そんなこともしてましたね。


ーー生き物に熱中されていたんですね。

小さい時から自然と触れ合わせてくれていたのか、物心ついた時には好きでしたね。

魚が好きだった頃、おばあちゃんが「魚カード」を作ってくれました。表に魚の精密なスケッチ、裏には行書体で名前が書いてあるんです。嬉しくて、とても大事にしていた記憶があります。


ーーめちゃくちゃ素敵ですね〜!

ロボットとか化石、レゴみたいな工作系が好きな時期もありました。とにかく好奇心旺盛な子供だったんじゃないかなと思います。

それもあってか、小3までは三者面談の後に必ず怒られていたほど、落ち着きがなかったらしいです。


ーー落ち着きがない…?今の大樹さんからは全く想像がつかないです(笑)

全く記憶にないんで、僕も想像つかないです(笑)


ーー苦手とか嫌いなことはあったんですか?

ドッジボールとかキックベースとか嫌いでしたね、チームで球を使うやつ。

全体像じゃなくて目の前のことだけ見てるタイプだったのかな…サッカーでパスされても次どこにやればいいか分からんみたいな感じでしたね。


ーー確かに、ゴールまで色んなルートがありますもんね。

そうそう、今でも思い出したらドキドキします…。瞬時に判断しなきゃならないのが苦手だったんだと思います。


ーー学生時代、特に印象に残っていることはありますか?

高校で初めて、趣味を共有できる仲間と出会いました。最初は化石好きで意気投合して、一緒に虫とりにも行くようになって昆虫標本を作ったこともあります。

化石を掘りに三重の川とか長野まで行ったりして、行動範囲が広がって楽しかったです。


ーー昆虫標本!行動範囲は広く、趣味は深くなったんですね。

僕が高校の時に一番集めてたのは「ゾウムシ」で。口先が象みたいに伸びてるからゾウムシっていうんですけど。どんぐりとかお米に混じっていたりする、実は身近な昆虫です。

音楽好きでも別に何でも聞くわけじゃなくないですか(笑)虫好きの中にもある程度のクラスターがあって、その中でも僕は「ゾウムシ屋」をしてたって感じですね。

日本にも愛好家が結構いるんですよ。作家の養老孟司さんもお好きだそうで。

ゾウムシって世界に6万種類、日本でも数百種類いて。それを日本全国で集めていくとか。


ーー虫を知らない身からすると、「ゾウムシ」が固有名詞だと思っちゃうので何種類もいるとは驚きです…!

栗に穴を開けて卵を産む「クリシギゾウムシ」とか、樹液に集まる「オオゾウムシ」、白黒でかわいい「オジロアシナガゾウムシ」、模様が美しい「マダラアシゾウムシ」などなど。本当に色々いて面白いんです。


ーーこのお話だけでコラムができそうです!

ぜひ(笑)

ゾウムシって一般的に1㎝以下、大きくても2-3cmくらいなんで、標本にするのは挫折しました。

探して標本にして集めていくのは虫好きのフォーマットではあるんですけど、僕は意外とその部分ではなかったというか、標本にしてしまうと輝きを失ってしまって…。

今でもよく山とか海岸で拾い物をするんですが、整理するのは得意じゃないです。


ーー目的というか目の前の輝きを追いかける感じが、今ご活躍されている背景と繋がる部分がありそうです。

目的とかゴールの達成ももちろんなんですけど、新しいものを見たいっていうのが結構あります。

例えばある商品が売れるようになったら、また違う世界というか、次やらないといけないことが見えるようになるじゃないですか。チームの体制も含めて、すごくダイナミックに状況が変わっていく。その新鮮味が面白いです。


シジミの研究を経て、 IT ベンチャー企業へ就職。

ーー今のお仕事をされるまでのご経歴について、簡単に伺ってもいいですか?

大学では主に海洋生態学を学んでいて、シジミの研究をしていました。味噌汁とかに入れる貝のシジミ。あれがどんなところで卵を産んで、どこで育って大きくなるかみたいなことを調べてて。

川の近くって都市があって、川から水を引いて工業とか家庭用に使ってたりするんで、人の都合で水の量が増減したりするんです。 いかに人の活動とシジミの活動を両立させていくか、それを調べるための基礎研究でした。

生き物って年単位で繰り返していくもので、100回や1000回調べてやっと何が正しいかがわかっていく世界なんですね。1年や2年調べたところでN=1というか、気候とか特別な要因とかを取り除ききれないんで、なかなか…自分の中で限界があるというか。

生き物のことを1-2年ではわからないなっていうのを、当たり前なんですけどやってみて気付いたんです。好きな気持ちはあったけど、自分の気質的にもうちょっと早く答えが見たかったっていうのがあって。

それで研究の道ではなく、就職を選びました。


ーー好きな気持ちだけで完遂できる世界ではなかったんですね。

新卒は SNS 運用・ SNS マーケティングやシェアリングエコノミー関係のサービスをやっている IT ベンチャー企業で、営業をしてました。

サイクルの早い業界とか、自分で作って自分で答えが見れるような仕事がいいなっていうのがあって、ベンチャーとかスタートアップを選んだっていう感じでした。

就活を終えたのは大学院1年生。1年残ってたんですけど退学して、インターン活動として業務に携わっていましたね。


ーー決断力がすごいですね。

新しく夢中になれるものが欲しかったんだと思います。

若手でも裁量権が大きかったり、自分たちで作った事業をそのまま会社化して子会社として出て行っちゃったりとか、そういう動きが活発で当時の僕にはとても魅力的でした。


ーー研究の道から IT ベンチャー企業へ、総じていかがでしたか?

生きていた世界と毛色が違いすぎて、圧倒されたまま追われるように働いていました。

仕事の基本的な考え方や営業の基礎・マーケティングの体制作りとかを教えてもらったんですけど、特別抜きん出られたわけではなく、手応えはずっとなかったです。


ーーそれでご転職を決意されたんでしょうか?

元々自然が好きだっていうのと、山登りとかサーフィンが趣味だったこともあって、どっか地方で働きたいなっていう気持ちがありました。たまたま求人を見かけたことがきっかけで、徳島県で地方創生をやっている会社に転職&転居をしました。

徳島南部の漁村で、自治体を相手にサテライトオフィスを誘致するための支援をメインでしてるような会社です。

町から依頼された広報物作成、サテライトオフィスを置いてくれている会社へのコンサルティング、仕事以外にも田舎特有の田植えや祭りに参加したりと、町の一員としても楽しく過ごしていました。


ーー仕事もプライベートも、その町で充実されていたんですね。

そうですね。当面そこで住もうと考えてたんですけど、人生プランを考えた時にちょっと不便が多いかなというのがあり、福岡に転居&転職を決意しました。

営業とマーケティングを一貫して経験したからこそ、企業に合った選択肢が見えてくる。

ーーなるほど。ここまでのご経歴は営業色が強い印象です。

そうですね。基本的には営業しかしてこなかったんで、地方から事業を作っていくとなったら、やっぱりマーケティングができるようになりたいなって思いがあって。

福岡って結構 WEB マーケティングの会社が多く、通販が強いんですよ。その流れで東京に本社を置くマーケティング会社に入って、 WEB マーケティング部を福岡で立ち上げるミッションを任されました。

会社としても僕自身としても、マーケティング事業部を作るのがほぼ初めての状態で、手探りでチームと事業を作っていたというような感じでした。

何もないところから儲かる状態まで立ち上げていく経験は、今の仕事にかなり活きているのかなと思っています。


ーーその会社ではどういった業界に携わられていたんですか?

そこは飲食店に強いマーケティング会社だったので、飲食業です。

元々、飲食店のマーケティングといえば大手口コミサイトに乗せるとかそういうところで、店舗をメディアを使って PR するためのアウトソースとして請けていました。

労働時間が長くワークライフバランスが乱れてしまって、当時産まれたばかりだった子供との時間も大切にしたく、農業系スタートアップに転職しました。


ーー農業系、というと?

スマート農業と言われるような「ハウス農業をされている農家さんをAI の力で支援するプロダクト」を製造販売してる会社です。そこの WEB マーケティングと営業に携わりました。

自分で集客し、問い合わせが来たら自分で電話して、自分で訪問して。会って話したことをサイトや広告に反映して、また反応があったら自分で会いに行ってみての繰り返し。

マーケティングから営業の最後まで自己完結する中で、こういう方が問い合わせしてくれるんや…!っていうのを肌で感じることができて、すごく楽しかったし、めちゃくちゃやりがいありましたね。

頑張れば頑張るほど自分の周りに機械が置かれていったり、ユーザーさんの農作物を近くのスーパーで見かけたりとかして、自分の仕事が地域に広がっていくのを実感できる仕事でした。


ーー営業とマーケティングを一貫してご経験されたんですね。

そうですね。そのうちに亮さんに出会い、雇用形態を問わず チームとしてクライアントに相対する支援の在り方、今の働き方に徐々にシフトしていったっていう感じですね。


ーー支援者として、今一番大切にされてることは何ですか?

やり方に固執しないことです。

どうしても事業者の中で決まっていることとか、既にできることをベースに支援内容を決めてしまいがちなんですが、できるだけ毎回 0 から考えるようにしたいなって思っています。


ーー企業の現状に合わせて、適切に方向性を提示されるんですね。

状況を客観視した時、広告をやるべきではないタイミングは必ずあって。でも仕事として、営業が顧客を引っ張ってきて僕たちが支援するとなったら、やっぱり広告をやらないといけない。そんな状況が本質的ではないなと感じました。

自分の仕事を続けるための動きと、顧客の目的を達成するための動きが一致しないこともあるはずで。そういう時に無理にしがみつかないようにしたいです。

ずっと支援し続けるのではなく、必要な部分でリソースをかけて、最後はいい関係で離れられるようにしたい。それはフリーランスになった理由の一つでもありますね。

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