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Wantedly Journal | 仕事でココロオドルってなんだろう?

Company

「国鉄の運転士になりたい!」と夢見た青年が、30年後に鉄道会社の社長になるまで

千葉県を走るローカル線いすみ鉄道前社長が語る、職業で自己実現することの重要性

2018/09/18

千葉県いすみ市と大多喜町の間を結ぶローカル線いすみ鉄道。JR東日本の木原線廃止に伴い、1988年に第三セクターとして新たなスタートを切ったが、1994年以降は毎年1億円以上の赤字を出し続け、存続の危機にさらされていた。2009年経営立て直しのため社長を一般公募することに。初代公募社長の退任後、2代目社長に就任したのが鳥塚亮(とりづか・あきら)さんだ。

2018年6月に社長を退任するまでの9年間で、ムーミンのキャラクターをあしらった「ムーミン列車」に名物伊勢海老を堪能できるグルメ列車「伊勢海老特急」、一般社会人を対象に自社養成乗務員訓練生を募集するなど様々な施策を打ち出した。

「観光の仕事は、苦虫噛み潰したような顔でやっていても人が来ない。だからまずは自分自身が仕事を楽しむ」

それが鳥塚さんのモットー。

社長退任後の現在は、全国のローカル沿線地域を盛り上げるべく、特定非営利活動法人 おいしいローカル線をつくる会の代表として、コンサルティング事業などを行っている。社長時代と変わらず、いすみ鉄道関連のイベントに顔を出したり、いすみ大使として積極的に同市をアピールするなど、いすみとの繋がりは続いている。(2018年4月取材)

相次ぐローカル線の廃止をストップしたい

鳥塚さんは、幼少期から東海道新幹線が大の憧れだったという生粋の鉄道マニア。高校卒業後は国鉄の運転士になるのが夢だったが、国鉄分割民営化が目前に迫っていた影響で、募集がかからず、教師のすすめから大学に進学したというバッググラウンドをもつ。いすみ鉄道の社長公募の記事を目にしたのは2008年の秋。当時は、外資系航空会社のブリティッシュ・エアウェイズで旅客運航部長として働いていた。

「僕らの時代は、航空会社の地上職といえば大きく分けて2つの仕事があって、ひとつは重量計算や燃料計算をするオペレーション。もうひとつは発見カウンター周りを担当するチケッティング。僕はオペレーションを希望していたんだけど、なかなか行かせてもらえなくて、チケッティングを10年くらいやったのかな。そうやって一通り空港業務ができるようになること、今度は管理職のポジションになるわけですよね。40歳くらいから退職するまで続けたんだけど、湾岸戦争やリーマンショックといった大きな動きがあると、給料の高い方から辞めざるを得ないという話もあったから、かみさんとも『いつまで勤めるのがいいのかわかんねえなぁ』って話してた頃に公募記事を見たんです。外資系で副業もOKだったから、鉄道ビデオを作る有限会社を経営していたこともあって、(経済的にも)なんとかなるんじゃないのって」

鳥塚亮さん

—社長公募記事を見つけたときはどんな気持ちでしたか?

「僕が家でビールを飲みながらパソコンをしていたら、かみさんが『こんなの出てるわよ』って教えてくれて。『あ、そう〜』って、しばらく放っておいたんだけど、履歴書を書いてみようかと思って。やっぱり昔国鉄に入りたかったでしょ?鉄道の仕事はおもしろそうだなってずっと思っていたのがひとつ。あとは、全国のすっごく良いローカル線が、どんどん廃止になっていくのを見ていて、これはあまりにもったいないなと思ったんです。そういうところでは『地域の足を守りましょう』って言ってたりするけど、実際の地域の足は車だったなんてこともある。でもちょっと考えてみたらローカル線ってテレビ取材の対象になるし、都会人が求めるコンテンツもいっぱい詰まってるわけ。それをきちんとアピールできれば、ローカル線はもちろん、その地域まで引き立つだろうなって思ったんです」

地域がローカル線から恩恵を受けるシステム作りを目指して

—立て直せる確信があったんですか?

「そりゃもちろん。当時は、3町合併していすみ市ができてからまだ4年しか経っていなかったので、“いすみ”なんて誰も知らないわけですよ。いすみ鉄道を全国区にすれば、いすみ市も全国区になるだろうと思いました。そうすれば、地域の人に鉄道を残しておいてよかったって思ってもらえて、この鉄道を廃線にしようと考える人もいなくなるだろうって。そんな漠然とした想いです。僕は地域の人に『どうやったら鉄道に乗ってくれますか?』と意見を聞いたり、『週に一度ノーマイカーデーにして、鉄道に乗ってください』なんて一切言ってません。そのかわり『うちがお客さんを連れてくるから、おもてなししてください』って。だって、少子高齢化、人口過疎化でさ、運賃収入なんてたかが知れてるわけですから。それを黒字にしますと言ったところでできるわけないですよ。ローカル線を守ってきた地域に対して、ローカル線から恩恵を受けるシステムを作ることを目指す。僕はそっちにコミットメントしたから任せてもらえる感じになったんじゃないかな?」

—123名の応募があったそうですね。

「そうみたいですね。僕が選ばれたのは、当て馬みたいなもんですよね。『外資系の航空会社に勤めていた人間を連れてきました!一生懸命やらせました!結局はだめでした!』と。そういうステップの一つとして選ばれたんだろうなと自分では思ってましたよ。さっき立て直せる確信があったと答えたんですけど、失敗したって僕のせいじゃないしね。もうどうせだめになるんだから、関係ねーじゃん!(笑)。

でも、サラリーマンが独立して何ができるかって考えたときに、僕らの世代は郊外にB&Bやペンションを建てたり、喫茶店やコンビニ経営で小銭を稼ぐとか、そんなことしかできないわけですよ。だけど、独立して、鉄道会社を経営できるんですよ?これはビッグチャンスじゃないですか。ここで何分停車してって、自分でダイヤがひけるんですから。だから僕は国吉駅に売店を作って、そこで停車時間を設けて、『10分ありますので、売店でお土産を買ってください』って言ってきました。地元の人には『ここで停車時間を増やすから、駅弁売ってくださいよ』って」

非日常感満載のローカル線は、最高のコンテンツ

—はじめて手ごたえ感じたのは、どの施策のときでした?

「6月に僕が就任して、10月からムーミン列車を始めて、そこから下半期に向かうわけですよ。観光っていうのは、上半期で年間の3分の2以上稼ぐもので、冬は一向にお客さんが来ない。ムーミン列車を始めてすぐはわーっと来ましたけど、せいぜい11月の連休くらいまで。それを過ぎるとしーんって。結局2月までお客さんが来なくて、『大丈夫かね?』ってみんなが思ってたんだけど、僕は必ず芽が出ると思って種を蒔いていたから。1月の終わりくらいからテレビ局や雑誌が取材に来るようになって、3月2週目頃に菜の花が咲いた瞬間に一気に人がきた。そのときに千葉県の担当者の方たちが『3月が年度末だけど、社長は6月に就任したから、丸々1年に検証期間を延ばしましょう』って言ってくれたの。そのときに、これはいけそうだって思った」

—観光の仕事は、苦虫噛み潰したような顔でやっていても人が来ないとおっしゃっていたことが気になるのですが、航空会社での経験が影響しているのでしょうか?

「うん。だってね、空港のチェックインカウンターには、ファーストクラス、ビジネスクラス、エコノミークラスのお客さんがくるでしょ?どのお客さんが一番楽しそうかというとエコノミーのお客さんなんですよ。2、3ヶ月前からチケットを申し込んで、1週間前には『来週の今頃はロンドンだ!』って指折り数えて待つわけ。だからワクワク感満載!反対にファーストやビジネスのお客さんは出張が多いのもあって、航空会社からするといいお客さんではあるんだけど、仕方ないから乗ってる感じが見えるんですよね。飛行機に乗ってからも、エコノミーのお客さんは、窮屈な席で十数時間も過ごすわけですよ。カーテンで仕切られた向こうにファーストとビジネスクラスの席があって、『あいつら一体何を食ってんだろう?』『どんなお酒を飲んでるんだろう?』って気にしながらも、自分たちの機内食をおいしいって言いながら食べている。この価値観ですよね。北海道だ、沖縄だ、ハワイだって遠くに行って、できるだけいいホテルに泊まって、できるだけうまいものを食う……っていうのが旅行における価値基準だったけど、もう違うよね。ローカル線は最高のコンテンツ。だって、近くて、お金をかけずに行けて、ドアを手で開けるとか非日常感満載じゃん!東京からこの距離なら、楽勝じゃんって思いましたよ」

鉄道会社なのだから、鉄道で売り上げを立てなければという思い込みを軽やかに飛び越えてきた鳥塚さん。並々ならぬ鉄道愛から生まれた「とにかくローカル線を残したい!」という明確なゴールがあったからこそできたことだと思う。

後編では、なぜ48歳にして念願だった鉄道の仕事に就けたのか。キャリアを重ねるうえで意識していたことや職業で自己実現することの重要性について伺います。

Interviewee Profiles

鳥塚亮(とりづか・あきら)
いすみ大使 / 特定非営利活動法人 おいしいローカル線をつくる会代表
1960年東京生まれ。明治大学卒業後、進学塾で講師を務めた後、大韓航空、ブリティッシュ・エアウェイズで地上勤務を経験。1992年、副業として鉄道前面展望ビデオの販売を行なう有限会社パシナコーポレーションを設立。2009年、いすみ鉄道の2代目公募社長に就任。ムーミン列車、伊勢海老特急を走らせ、自社養成乗務員訓練生を募集するなど、数々のユニークな施策でいすみ鉄道の知名度を全国区に押し上げる。2018年6月に退任後 は、いすみ大使を務める他、特定非営利活動法人 おいしいローカル線をつくる会の代表として、全国のローカル沿線地域を盛り上げるべく奮闘している。社長時代から続けている人気ブログのリニューアル版、「いすみ鉄道前社長 鳥塚亮のブログ」を更新中。
  • Written by

    梶山ひろみ

  • Photo by

    岩本良介

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