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まずは誰とやるか。。「球」をイメージした場合、コアに近ければ近いメンバーほど影響が大きく、大事になってくる。前提として使命に「心から共感している」人。「頭で理解している」ではない。

そこから、お互いがお互いの強み、want, like, 苦手なこと、嫌いなことをわかっていて、活かしあっている、カバーしあっている。その思いと土壌がある。遠慮なく、鼓舞しあってる、讃えあっている、尊敬しあっている。結果として阿吽の呼吸、シナジーが生まれている。時に道から外れそうな時、先が見えなくなる時も、仲間もそのフォロワーになったり、イライラして敵のようになってしまわず、時と場合でお互いがリードし合い、時にアクセル役、ブレーキ役で、冷静と情熱の間で、中道であることが大事。大前提として、それぞれの人生全体としての価値観、それぞれの役目、その時々のシチュエーション、優先順位など、一つとして「同じ」はない。だから強制はせず、勝手な期待を抱かず押し付けず、そういう暗黙の雰囲気もなく、それぞれの役目をその範囲で全うする。そこに優劣はない。そして常に感謝の思いを。

物事を実際に創造する前には完全に「見えていない」といけない。細部までカラーで。計画とか戦略とかそういうものに落とし込む前に、それぞれの人生で培われた哲学をベースに、活き活きと将来の姿を描き、新しい仲間や関わる人たちにも伝わる伝わらないに関わらず、ありありと、それがどれだけ素晴らしいことなのかを自然に物語っている。

あとは適材適所で、森を見るのが好きな人、緻密に計画をするのが好きな人、参謀戦略家、デザイナー、職人、地道に細かな作業が好きな人、ナラティヴを生み出し語りかけ発信するのが好きな人、最終的にそのサービスを使ってくれる人たちとやり取りしたりその声を反映したり対応していくのが好きな人、足でどんどん関係者に当たっては砕け巻き込み広げていく人が好きな人、裏方でみんなを支えることが好きな人、全体のシステム化効率化していくのが好きな人など、それぞれの人がイキイキ活きる役割を担ってもらって、それぞれの人たちのやり方、プロフェッショナルを「信じて」、マイクロマネジメントせず自由に動いてもらう。でも状況や流れは常々変わるので、動的平衡としてポジションなんかも(特に最初は)ゆるゆるやわやわにしておく。

そして細かな部分、ちょっとした懸念なんかも自由に言い合える仲。違う視点からの意見に価値がないように思えることや受け入れ難く反射的に抵抗してしまう、感情的・反応的になることも、一旦その間にスペースをおいて、自分にバイアスや固定観念が存在していること、そして見えている視野も限られているということを念頭に置いて、後から反省して、ニュートラルに素直に捉える。そしていつでも安心して思いを共有できる場があるということ、関係する人をパッと集めて話し合いの場やミーティングを適宜行える状態にしておく。そしてチーム全体、プロジェクト全体が今どういう状況で、どういう機会があって、どういう課題に直面しているのか、いつも透明にタイムリーに可視化されている。特に自然に目を背けてしまうbrutal factにも早いうちから向き合える体制を作っていき、みんなで乗り越えていく。例えばプロジェクトが進むにあたって、初期に多大な貢献をしてくれたけれど、現フェーズでは合わなくなってくる人も出てくる。球体の360°を見、深く可能性を探った結果そうなったのなら、それはその仲間にとってもチームにとってもプロジェクトにとっても、別れるということが最良であり自然の流れ。新陳代謝の結果。何が・誰が悪いではない。プロジェクトであれ、組織であれ、都市であれ、川であれ、細胞であれなんであれ、常に古くなったもの・余分になったものは捨てさられ、壊され、流れゆくことによってしか、新しいものは入ってこない、生まれない。じゃないとどうしても澱み、流れが悪くなり、エントロピーが溜まっていき、いずれその増大に耐えきれず、分解してしまう。それも自然の流れなのだけど、プロジェクト全体がそうならない為には、心の中の違和感や本音、(特にこんなこと言ったら普通あかんやろうっていうことこそ)素直にシェアできる環境があることが大事。そして自分自身でもなかなか気づけない無意識的なことや、これまでの癖で抑え込んでしまっている・抱え込んでしまっていることなんかも互いに気づき合えるチームであるならしあわせ。

あとは自分自身も、チームも、プロジェクトも、会社も、常に変化する流れ・環境の中で、雨の日も風の日も晴れの日も、自分たちのミッション・ビジョン・哲学をもとに、トライアンドエラーでいつも新しく新鮮に、自由に伸び伸びと道のりを楽しむ。オーナーシップは大切なのだけれど、「自分のプロジェクトだ」と所有するというよりは、自分の子に愛を注ぎ・見守り、ゆっくりと丁寧に、その子の成長の速度に合わせて、一歩一歩育んでいく、という感覚。共に学び成長していくというように、命を吹き込み時の洗礼を受け真摯に取り組み続けることができれば、気づけば一番最初に描いたビジョンが現実となっている。