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【LOHASTYLE 代表インタビュー】人の心を動かし未来を創る|約束された安定を捨て、起業に踏み切ったワケ【前編】

こんにちは!株式会社LOHASTYLE 採用広報部です。

今回、LOHASTYLEがどんな会社なのかを知ってもらうために共同代表の1人である、木村に直接インタビューを行ってきました!

今回は前編として、学生時代の過ごし方から、社会人初期の経験、そしてLOHASTYLE起業に至るまでのストーリーをお届けしたいと思います。

ぜひ最後までお楽しみください!

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やっと見つけた仕事という楽しみ

|学生時代について教えてください!

東京都足立区で育った私は、日本大学を中退し、21歳で株式会社プレミアムウォーターホールディングスの前身であるエフエルシーという会社に入りました。ここが全ての始まりです。アルバイトとしてスタートし、12年間その会社で働きました。小中高とサッカーに熱中し勉強を遠ざけてきていた私は、大学での英文学の授業に追いつけず、人生に楽しみを見出せない状態でした。そんな中、友人の紹介でエフエルシーと出会い、そこで初めて仕事の楽しさを知ったんです。『頑張ったら頑張った分だけ成長し、その分評価される。』なんて仕事って楽しいんだ!って思いました(笑)

| 新卒の就職活動はどんなことをしていましたか?

実は、私は新卒での就職活動は行っていないんですよ。大学在籍中にエフエルシーでの仕事にのめり込んで、営業成績も伸びていたので当時の社長からは大学を辞めて正社員として働かないかと誘われていました。「ここで働いたら、絶対に成功するビジネスパーソンにしてやる」と言われ、その言葉が決め手で大学を辞めて、入社を決意したという感じです。

今思うと、大学を途中で辞めてまで入社するなんて、かなり思い切った決断だなと思います。

成長の階段を猛スピードで駆け上がる木村

|木村さんがどのように昇格していったのか知りたいです!

まず20歳の時なんですが、その時には既に会社が50人規模ほどに成長していました。

その際、東京で会社の飲み会があったのですが、社長が急にその飲みの席で「京都に支店を出したい」と言い出したんです。

「誰か行きたい人!」と社長が続けて言葉を放った直後、すぐさま手を挙げたんですけど、意外にも手を挙げたのが私だけだったので、そのまま任命されました。

当時はまだ大学生だったので、月曜と火曜日に授業を詰めて、水曜から日曜までの時間を京都での仕事に費やす生活を約1年ほどしていました。

平日は面接や事務作業を行い、週末には現場に立ち、プレイングマネージャーとして周りを引っ張りながら数字を作ったんです。

20歳の学生にそういったことを任せるというベンチャー気質は今思い返しても凄いなと思います。

|失敗するかもという恐怖は当時ありましたか?

正直なところ、ありませんでした。当時手を挙げたのは、失うものは何もないという怖いもの知らずな気持ちと、やりたいことを見つけたいという渇望による感情からだったので。むしろ、後天的な努力でいけるところまでいってやるぞ!という気持ちでした。(笑)

そんな意気込みの甲斐あって、京都の支店を成功させることができました。その後の地方支店展開のモデルケースを作ったことを会社に評価いただき、21歳の時に営業一課という東京の中心部のマネージャーに任命されました。これは本当に嬉しかったです。

もちろん、人が育たないとか、辞めるとか、当時は沢山悩んだこともあったんですけど、そういったことを日々葛藤しながらも、自分にできることはなにかと考えて行動するのが好きなんです。そんなこともあってか、自分の意志で半年間1日も休まずに出社した時期もありました。今はもうやっていませんが、その時期があってよかったなと思っています。(笑)

|上手くいった要因は何だったんでしょうか?

これも上手くいったことなんですけど、23歳の時、新宿の駅から徒歩5分の中心地に支店を出すことになり、他支店がマックスでも20人くらいの規模の中、すぐに50人規模のチームにまで成長したんです。

そういった結果を出せた要因は、やっぱりチームメイトに恵まれ、いい出会いがたくさんあったことですね。

後はそんな経験をしていく中で、当時から、伸びているマーケットの商品と、それを売るための営業力と、売る人材が揃っていればビジネスは成功するだろうという成功の方程式のようなものをうっすらと考えていたようにも思います。

まあ、つまりは”人”です!

安定した地位と収入を捨てて選んだ道

|成果を残し続けていた環境を飛び出して、起業を決意した背景を教えていただけますか?

一生懸命働いていたら、会社は800人規模まで成長していました。

その頃には子会社の経営も任され、部下からは社長と呼ばれていましたが、100%出資の子会社なので、結局は事業部長であるという認識が強かったんです。だから、これ以上の先がないと感じていました。

上場を控えたタイミングでストックオプションを狙って居続けるか、もう一度自分たちでチャレンジしてそれ以上の売上利益をだすのかと選択を考え、結果後者を選んで、起業しました。

プレミアムウォーターホールディングスは素晴らしい会社でした。本当に感謝しています。

どんな人でも10年くらい真剣に仕事すると、ある程度勝負ができる人間になれる。

そんな人生逆転劇のような応援を本気でしてくれる環境でした。

当時、何もできなかった自分が成長できたように、自らが歩んできた人生を誰かにも体験してほしい。だから、LOHASTYLEでも自身で起業するような人材を生み出して、世の中に貢献していきたいという気持ちを持っています。

|起業に対して不安などはありましたか?

不安はありませんでした。

しかし、周囲から「起業はやめろ」「お前なんか絶対失敗する」「営業はできても経営はできない」と批判のオンパレードでした(笑)

そんな厳しい言葉を浴びつつも、31歳で失敗してもまた就職して、

得意なサラリーマンとしての営業で人生どうにかなるだろうと思っていました。

営業には絶対的な自信を持っていたので(笑)

|今の経営体制や方針について、エピソードがあれば教えてください。

最大のターニングポイントは、やはりコロナの影響ですね。

主に展開していた事業はどれも対面で行われてきました。ショッピングモール等の商業施設にてお客様に足を止めてもらってウォーターサーバーを売ると言う方法がコロナでできなくなってしまったのです。

その際に、対面だけだとダメだよねと反省し、自社でサイトを作ったり、自社プロダクトを作って売り上げを創るという戦略に切り替えていきました。

新電力やガスの事業をはじめ、様々な事業を展開し、ウォーターサーバー以外の柱を作っていきました。それらがLOHASTYLEの新たなステージを作り上げたように思います。

・・・


続く


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